ABH 「国民意志軍」
ロシヤの大衆運動
「民主主義」は 厳密で「人民の権力」です。
しかも人民は最高権力と見られているのです。
権力は謝礼することや罰することが出来るのです。
それは権力の最重要な特徴です。
その特徴がないと権力があることを認めてはなりません。
それだから、最高権として人民は国家を統治している者を罰することが出来ることの必要があるのです。
その可能性さえあれば人民の権力と民主主義があるのです。
そうして「責任」 は何ですか。
政治家は「自分の責任 」とたびたび々言うがその言葉はどういう意味ですか。
現在はどこの国にも代議員か大統領か総理大臣かの自分の責任は政策の結果が悪いと次期の選挙で再選せられないことにすぎません。
それは責任ではなく、駄弁です !
任せた事の責任は実の意味が謝礼せられることの可能性も、刑罰を受ける可能性もあることです。
予めの法律に規定された罰がないと責任もないのです。
ロシヤでは総選挙で当選した大統領と「ドゥマ」という議会の代議士が国家を統治しています。
しかし法律に規定された 統治の悪い結果のための刑罰がないというだけの理由で議員も大統領も人民に対して実の責任者と見られることが出来ないのです。
だれがその統治の結果を判断しなければならないのでしょうか。
公民、各人でしょう。
悪い結果のために議員と大統領を罰しなければならない決議を採択することはだれの職権でしょうか。
公民、各人の職権でしょう。
ABH「国民意志軍」の提出されている「責任法」と言う法律案で国家統治の悪い結果と国民生活の悪化は刑事犯と見做されているのです。
人民生活の悪化は大統領と議員の連帯責任である予定です。
その法案に基いて次期の選挙に参加する各人は次ぎの大統領と議会を投票する度に特別の投票用紙で以前の大統領と議会の政策を判断して、
生活がよくになったと考えると「1」で、変化がなかったと考えると「2」で、生活が悪化したと考えると「3」で記号をつけるのです。
「1」を投票者の多数決で決定すれば 、大統領と議員はロシヤの英雄になり、
「2」を投票者の多数決で決定すれば 、謝礼も刑罰もなく、
「3」を投票者の多数決で決定すれば 、大統領と議員は「4年間の刑期」と刑罰を受けます。
ABH「国民意志軍」はそのような制度が実の民主主義の基本になることを目的とするのです!
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